History of Aircraft
JAL's History
History of Uniform





1971- 1980 ジェット時代JAL's History


1952年(昭和27年)

7.4

日東航空株式会社設立。(資本金5,000万円)

9.13

富士航空株式会社設立。(資本金1,000万円)

1953年(昭和28年)

6.30

北日本航空株式会社設立。(資本金5,500万円)

11.30   東亜航空株式会社設立。(資本金1,000万円)

1964年(昭和39年)

4.15   日東、富士、北日本の3社合併で日本国内航空株式会社設立。(資本金34億8,000万円)

 

1971 昭和46年



5.15
  東亜国内航空設立。日本国内航空株式会社と東亜航空株式会社が合併。資本金95億2,500万円。代表取締役会長に下村彌一、代表取締役社長に富永五郎が就任。本社を羽田日本航空メンテナンスセンター(東京都大田区羽田空港1丁目9番1号)に置く。

図版1

7.3   丘珠発函館行63便YS-11 JA8764“ばんだい号”函館北方横津岳山腹に墜落。乗客64名、乗務員4名全員死亡。

10.1   スチュワーデス、地上職員の制服を一新。



1972 昭和47年



2.28

本社移転。
日本航空メンテナンスセンターから第18森ビル(東京都港区西久保明舟町28番)


6.30

“ばんだい号”遭難者一周忌法要(於東本願寺函館別院)および慰霊碑(七飯町前横津岳に建立)除幕式を行う。

8.1

初のジェット化路線となる東京=大分線をB727型で運航。

図版2

8.30

代表取締役会長に田中香苗、代表取締役社長に下村彌一が就任。

10.18

TDAスカイコール(初のオンライン予約システム)稼動。

図版3


1973 昭和48年



5.31

デ・ハビランドDH-114-TAW(タウロン)屋久島=種子島線を最後に路線から退役。(JA6162、JA6163)

図版4

10.25

代表取締役社長に田中勇就任。

10.29

DC-9型機体新カラーマーキング“レッド&グリーン”に決定。

図版5

12.1

DC-9-31型が東京=釧路線に就航。

図版6


1974 昭和49年



3.16

DC-9-41型1号機(JA8423)東京国際空港到着。

4.3

DC-9-41型が東京=大分線に就航。

10.31

深夜便、東京=福岡の“ムーンライト”便を最後に運休。

12.1

丘珠空港から千歳空港へ施設展開完了。業務開始。


1975 昭和50年



1.6

B727型 大分=東京線336便を最後に路線より退役。

3.1

東京=札幌、東京=福岡両幹線をDC-9-41型で開設。

図版7

5.1

東京=長崎線をDC-9-41型で開設。初のダブルトラックが実現。

8.1

沖縄海洋博開催期間、大分=沖縄線、宮崎=沖縄線、長崎=沖縄線をDC-9-41型で運航。

9.1

山陽新幹線の開通により、大阪=広島線を運休。

10.1

スチュワーデスの制服を一新。(セルリアン・ブルーへ変更)


1976 昭和51年



3.22

YS-11型機体カラーマーキングを“レッド&グリーン”へ変更開始。

図版8

6.2

1975年度決算で、初の単年度黒字計上。

10.1

グランド・ホステスの制服を5年ぶりに一新。


1977 昭和52年



2.18

千歳空港にボーディングブリッジの代替として、旅客輸送専用バス「オートラウンジ」を導入。

図版9

4.25

名古屋から初の定期路線、名古屋=長崎線、名古屋=仙台線をDC-9-41型で開設。

7.29

1976年の年間定時出発率が世界のDC-9型運航会社の中で最も優秀なものとして評価され、ダグラス社から表彰される。

図版10


1978 昭和53年



7.20

ダブルトラック3路線、東京=函館線、東京=熊本線、東京=鹿児島線を、DC-9-41型で開設。

図版11


1979 昭和54年



6.29

1978年度決算で累積欠損を一掃。

11.4

新予約システム「スカイコールV」稼動開始。

図版12

12.10

エアバスA300型機体カラーマーキング「レインボーカラー」採用決定。


1980 昭和55年



12.3

エアバスA300 1号機(JA8464)東京国際空港に到着。

図版13

12.25

「日東航空整備株式会社」設立。




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