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秋の日は早朝から澄んだ空気が町中を包み込み、会津若松市の空は限りなく高く、そして大きく広がっていました。
電話でお伺いした本町の通り沿いにあるあいくーの製作工房を訪ねて、通りの店を1件ずつ覗き込むように工房を探して歩き回りましたが、なかなかそれらしい工房を見つけ出すことができませんでした。
辺りをくまなく探しながら歩いていると看板も表札も掛けられずに通り沿いにそっと佇む小さなガラス戸の店先が気になりました。
ガラス越しに店の中を覗き込むとなんと奥のテーブルの上にはミシンとクマのぬいぐるみらしきモノが置かれています。勇気を出して硝子戸を開けてお声をかけるとまさに目指すべきあいくーの工房でした。
5坪程の小さな工房にはあいくー製作に使われているさまざまな色合いやストライプが美しい会津木綿の反物が所狭しと積み上げられ、そこここのテーブルの上には紙箱の中にキチンと並べられ組付け縫製を待つ小さなあいくーの構成部品があちこちに置かれていました。
そこはまさにあいくーの生家とも呼べる場所でした。
プロジェクト代表の庄子さんをはじめ、5人の活動メンバーは震災が起きるまで福島県大熊町に長く住んできました。大熊町はもともと美しい浜辺を持つ海や豊かな山林に囲まれた美しい静かな町です。
庄子さん達5人のメンバーはその大熊町の社会教育事業のモノづくり教室で知り合った仲間です。
庄子さんの記憶に依るとその日2011年3月11日の午後はいつもと変わらない早春の午後であったそうです。午後2時40分過ぎ、今までにであったことの無い大きな地響きと揺れが自宅に居た庄子さんを襲います。
家から飛び出して自宅裏の梨畑で長いことじっと家人の戻るのを待っていたところ、幸いにも家族が無事に集まり、津波の被害から内陸に逃げようと話し合い、家族で夜を徹して移動し、田村市に一時的に落ち着きました。やがて、震災により自宅から3キロのところにある原発がメルトダウン事故を起こしたことを知ることとなりましたが、それは震災後2日経ってからだったそうです。その後、庄子さんやかつての仲間たちは、半年以上にわたりそれぞれにあちこちの避難所を点々とし、連絡も取れない状況が続きました。
「今でも神様のお導きのように思っています。」ずっと探していたかつてのモノづくりの仲間とある日偶然にも再会した時のことを庄子さんはそんな風に振り返ります。
すっかり昔話に花が咲き、またみんなで一緒にモノづくりをしようと約束をして別れました。5人の仲間はその約束を忘れずに時々集まって何を作ろうかと相談し始めました。
まったく帰宅できない我が家について話をしているうちに「そう言えば私たちの町は大熊町だったね。」確かに大熊町には熊のマスコットの看板や案内標識があちこちにありました。自宅から持ち出したカメラケースにはバッジにデザインされた親子の熊のキャラクターがついていることも思い出しました。5人で話し合っている内にみんなでモノづくり教室でテディベアの作り方を教えたことを思い出しました。それからは勉強に次ぐ勉強をしながらさまざまなぬいぐるみに関する研究を重ねました。
幸いにもその頃仲間の生活拠点も会津周辺に定まり、相談に乗ってくれる会津のモノづくりに携わる方々の協力もあって、意を決して仕事場に使える場所をお借りして会津の街角の小さな工房でクマのぬいぐるみづくりに専念し始めました。
会津は古い歴史を持つ町で、地元には古くから愛される会津木綿という生地があり、今でも長い伝統を受け継ぎ実に多くの彩りに富んだ美しい縞柄の木綿を作り続けています。5人は製作の手始めに縞柄が中心の会津木綿の中からクマのぬいぐるみづくりに適した黒染めの会津木綿を探し始めました。
こうした始動したクマのぬいぐるみの最終的なデザインが完成するまでには、5人のメンバーのさまざまな議論や試作づくり、デザインの改良に多くの時間を費やすこととなりました。
そんな試行錯誤の中で、5人が変わらずに今日まで持ち続けた思いがあります。それは、自らが育ち、こよなく愛するふるさとを決して忘れたくないという思いと、日本や世界中の人々にふるさとである大熊町を忘れてほしくないという願いでした。5人は自分たちが作り出すクマ達に現在暮らす会津からふるさとの大熊町までずっと続いている空に因んで「会津から故郷大熊町まで続いている空」=會空(あいくー)と言う名前を付けることにしました。そしてあいくーの顔や表情は今や町の過去も未来もすべて失ってしまった大熊町のシンボルである熊のキャラクターを参考にして独自の表情などを考案し、その手足はボタンで止めて自由にさまざまな所作が作り出せるような味付けを施しました。
あいくーは試作や成型の改良を続ける過程で、座ったりモノを抱えたり、 二本足で立つことさえできるようになりました。
庄子さんの家は福島第一原子力発電所から3キロ程のところに位置していました。彼女はクマのぬいぐるみづくりを通して、他の4人のメンバーとも大熊町が帰れない故郷になってしまったことを確かめ合いました。
そんな帰れない町のことを誰が覚えていてくれるだろうとふと考えたりします。庄子さん達はあいくーに苦しい自分たちの胸の内の思いを世界中届けるメッセンジャーになってほしいと願っています。
あいくーに込められた會空の皆さんの思いを世界中に届けるお手伝いのひとつとして、2014年1月1日から2月28日までの間、国内14の空港のサクララウンジ、ファーストクラスラウンジ、ダイヤモンド・プレミアラウンジに、あいくーツリーを展示しました。
世界各地からのお客さまにとても可愛がって頂きました。きっと、會空の皆さんの思いと優しい気持ちも感じられたのではないでしょうか?
2014年1月下旬にフランス・パリで開催されるライフスタイル市「Maison et Objet 2014」に、福島の若手工芸家による工芸品とともに、あいくーが出展されました。海を渡ったあいくーは、會空の皆さんの思いをフランスにも届けました。
あいくーと一緒に、福島の子どもたちを応援しませんか?
JALチャリティ・マイルでは、2014年3月25日(火)〜5月6日(火)まで、福島県いわき市や南相馬市など放射線量が比較的高く、屋外遊びが制限される地域の「学童児童クラブ」の子供たちが放課後や学校の長期休暇にのびのびと遊び、学べる安心・安全な環境を提供する、公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの「ふくしま学童児童クラブ遊び隊応援プロジェクト」へのご支援をお願いしました。その結果、2,205,000マイルのご寄付を頂き、南相馬市、相馬市の23の学童クラブ、延べ約1,000人の子どもたちの放課後遊びを支援することができました。
また、マイル寄付を頂いた方の中から抽選で、JALのラウンジに展示していたあいくー200体をプレゼントしました。
あいくーとの新たなコラボレーションとして、2014年12月からオリジナルあいくーがJMBのマイル交換商品に登場!JALオリジナルの可愛い衣装に身を包み、小さなお家のなかで、皆さまのお手元に届けられる日を待っています。あいくーを通じて、會空の皆さんの故郷を思う気持ちを感じてください。