JALの歴史
JALの歴史・機材の歴史・制服の歴史について、それぞれ年表で、詳細にご紹介します。
各年代における歴史
私たちの歩みを各年代ごとにご紹介します。
1950年代 日本の空に再び翼を プロペラ機の時代
1951年、その年、日本人が日本の空を自由に飛べない時代が明けました。自社の航空機もパイロットも持たない小さな民間航空として誕生した日本航空は、ノースウェスト航空への委託運航から営業をスタート。復興する日本の発展とあゆみをともにし、開業からわずか2年で国際線を就航させます。日本の翼が世界の空へと再び羽ばたきました。
1951年導入の航空機と当時の出来事 開く
ノースウェストチャーター機
マーチン2-0-2
1951年10月1日日本航空設立
創業期の日本航空本社は銀座にありました。当時は会長、社長をはじめ役員室は畳敷きでした。
1951年10月25日国内定期便第1便就航
東京から大阪・福岡への第一便は、ノースウエスト航空に借りたマーチン2-0-2型機。翼には日の丸、胴体に「日本航空」の文字が輝いていましたが、尾翼の日の丸は就航前夜に急遽塗られたものです。創業当時は自社の航空機、パイロットを持っていなかったため、ノースウェスト航空に運航を委託して、東京(羽田)-大阪(伊丹)-福岡(板付)間の定期旅客運航が始まりました。
1951年10月23日の札幌までの招待試験飛行に備え、前日の10月22日夜に日の丸が尾翼に描かれました。
1952年導入の航空機と当時の出来事 開く
社有一番機 ダグラスDC-4
1952年10月25日国内線自主運航開始
委託運航開始から1年後には自主運航を開始しました。機内は与圧されておらず、空調設備がなかったため、夏は大変な暑さ。そのため扇風機が取り付けられていました。
1954年導入の航空機と当時の出来事 開く
国際線のパイオニア ダグラスDC-6B
1954年2月2日 国際線第1便ホノルル・サンフランシスコ線就航
日の丸機が戦後初めて太平洋を渡るということで、その日、東京国際空港(羽田)は大変な熱気に包まれました。第1便の「City of Tokyo」号の出発時には搭乗アナウンスでお客さま一人一人の名前が呼ばれ、そのたびに拍手や歓声が巻き起こるほど。盛大なブラスバンド演奏のなか出発したダグラスDC6B型機は、ウェーキ島、ホノルルを経由し31時間20分をかけて太平洋を横断しました。
Pickup エピソード
日本の空に翼が戻った日
第2次世界大戦後、日本はあらゆる航空活動を禁止されました。1950年6月、5年間にわたる運航禁止期間がGHQにより解除されたことを受け、1951年には、国内航空運送事業の免許状取得に5社が名乗りをあげました。最終的には、日本航空に他の4社が合流し、1951年5月22日、営業免許状が交付されました。
「日航の切符を売る前に日本を売れ」
東京=サンフランシスコ線の機内では、外国のお客さま向けに和のテイストのおもてなしを意識。着物を着たスチュワーデスがおしぼりやうちわを手渡すサービスは、特にご好評をいただきました。着物を着る担当は持ち回りで、初期は一人一人に貸与され、狭い機内スペースでの着付けも訓練。手早く着替えやすいよう、着物自体にもテープで止めるなどの工夫がされていました。