JALの歴史1970年代

JALの歴史 挑戦の航跡 1951年に日本で戦後初の航空会社として誕生して以来、JALグループは常に時代の変化を捉え、技術と革新を積み重ねてきました。今後も創業以来培ってきた強みを生かして、人・モノの移動と、関係・つながりを創造していきます。

JALの歴史・機材の歴史・制服の歴史について、それぞれ年表で、詳細にご紹介します。

各年代における歴史

私たちの歩みを各年代ごとにご紹介します。

1970年代 ジャンボ機の時代

「500人乗りの巨人機」の登場で始まった1970年代。ジャンボと呼ばれるその旅客機は、航空運賃を大幅に引き下げる原動力になり、過去に類を見ない輸送力で大量輸送時代をリードします。海外旅行をパッケージ化した「JALパック」の浸透や新東京国際空港(成田)の完成により、レジャーとしての空の旅を誰もが楽しめる時代がどんどん近づいてきました。

1970年導入の航空機と当時の出来事 開く

500人乗りの大型機 ボーイング747-100

1970年7月ジャンボジェット機就航

大量輸送時代を迎え、その最初の機材として1970年から就航したのが、ボーイング747-100型機。ガーデンジェットの愛称で当時は大きな話題となりました。一気にそれまでの倍近い輸送力となったため、予約システム、空港施設、地上機材など、機材大型化の影響はさまざまな方面におよびました。

1971年5月東亜国内航空誕生

日本国内航空と東亜航空が合併して日本エアシステム(JAS)の前身の東亜国内航空が誕生しました。

1974年10月ボーイング747型貨物専用機就航

機首貨物ドアが採用された貨物用ジャンボ機が導入され、10月1日から東京-サンフランシスコ-ニューヨーク-アンカレジ-東京線に就航しました。

1978年5月成田空港開港

1978年5月、成田の新東京国際空港が開港しました。日本発着国際線の約50%を占めるJALでは、国際線移転のための施設整備に480億円をかけ、移転の最終段階では3日2晩の間に約3万点、3250トンの資材を輸送しました。新空港への第一便は、21日午前8時8分到着のロサンゼルス発DC-8F「若狭号」。定期便を1便も欠航せずに移転を実現しました。

Pickup エピソード

1971年4月女性初のパーサーが誕生

世界の航空会社に先駆けて、JALのジャンボに女性パーサーが登場しました。それまでは客室乗務員全般を指揮する「パーサー」は男性の役職とされていました。1971年4月から国際線のボーイング747を中心に配置された17人の女性パーサー、116人のアシスタントパーサーは、その颯爽とした仕事ぶりで、他のスチュワーデスたちの“憧れの的”でした。

中国からのジャイアントパンダ輸送

1972年10月、日中国交正常化を記念して、中華人民共和国から贈られたジャイアントパンダの「カンカン」と「ランラン」を北京から輸送したのはJALのDC-8F型「ジャイアントパンダ空輸特別機」でした。受け入れ先の上野動物園と事前にプロジェクトチームを組み、餌の与え方、機内の温度などを研究。無事に送り届けられたパンダは、日本中に大フィーバーを巻き起こしました。