JALの歴史1980年代
JALの歴史・機材の歴史・制服の歴史について、それぞれ年表で、詳細にご紹介します。
各年代における歴史
私たちの歩みを各年代ごとにご紹介します。
1980年代 ハイテク機と航空業界大競争の時代
日本企業の海外進出や海外旅行ブームに支えられ、航空業界は躍進の時代となりました。機材はその輸送能力の高さだけでなく、ハイテク化が進んだのもこの時期。「国際線のJAL]「国内線の全日空」「ローカル線の東亜国内航空」といったすみ分けも次第に規制が緩和され自由競争が加速し、差別化が求められるようになっていきます。
1980年導入の航空機と当時の出来事 開く
短距離路線でも使えるワイドボディ
エアバスA300-B2
1983年定期輸送実績世界ナンバー1へ
1983年、日本航空はIATA(国際航空運送協会)に加盟する126社中、国際線定期輸送部門で世界1位になり、1987年までの5年間世界1位を継続しました。
1985年導入の航空機と当時の出来事 開く
第4世代のハイテクジェット
ボーイング767-200
1986年ヨーロッパ直行便が続々就航
例えば東京-パリ間では、1965年には2か所の経由が必要でしたが、1986年には直行便が就航し、所要時間が最大5時間半短縮しました。新しい航路の開設や機材の性能、燃費の向上に伴い、ヨーロッパ直行便も徐々に増えて行きました。
1988年4月日本エアシステム誕生
1988年の国際線(成田-ソウル線)就航を機に社名を東亜国内航空(TDA)から日本エアシステム(JAS)へ社名変更。ホノルル、シンガポール、中国路線を開設しました。
Pickup エピソード
完全民営化へ、JALロゴを一新
新しいJALブランド計画に基づき「国際性」「洗練性」「現代日本」をテーマに決定されました。JALの黒文字は「誠実さ」を、赤い正方形は「燃える情熱」を、グレーのバンドは「スピード感」「躍動感」を表しています。
国内地方路線への進出
1985年12月、国内航空大手3社を対象とした事業分野の規制が緩和されて、新たな競争の時代に突入しました。JALは国内地方路線進出の第一弾として、1986年7月20日、東京(羽田)=鹿児島線を開設しました。国内線定期便の新規乗入れは、新東京国際空港(成田)を除くと会社設立以来35年ぶりでした。その後同年10月1日には小松線を開設し、JALの国内線のネットワークが少しずつ広がっていきました。