JALの歴史1960年代
JALの歴史・機材の歴史・制服の歴史について、それぞれ年表で、詳細にご紹介します。
各年代における歴史
私たちの歩みを各年代ごとにご紹介します。
1960年代 ジェット機導入と世界一周路線
1960年代は日本が大きく飛躍した時代。高度経済成長が進む中、1964年の海外旅行の自由化、東京オリンピック開催などで日本は経済大国として世界から認知されていきます。航空業界ではプロペラ機に替わりジェット機が主流に。北極回りのヨーロッパ線、ニューヨーク線、そして世界一周線の開設へと一気に駆け抜けました。
1960年導入の航空機と当時の出来事 開く
ジェット一番機 ダグラスDC-8-32
1960年8月ダグラスDC-8型機導入、スピードはプロペラ機の2倍に
日本初のジェット旅客機として登場したDC-8の巡航速度は876Km/時。プロペラ機のDC-6Bの約2倍の速度というニュースに関心が寄せられました。就航に先立って行われた特別披露飛行では、東京(羽田)ー福岡(板付)間の往復約2000Kmを2時間13分の新記録で飛行。ジェット機の高速性能を強く印象付け、その後、1960年代の主力機として主に長距離国際線で大活躍を果たしていきます。
1965年導入の航空機と当時の出来事 開く
3つのエンジンの美しいシルエット
ボーイング727-100
国内ローカル線の主役 日本航空機製造YS-11
1965年4月JALパック第1陣出発
海外渡航の自由化により一般の人が海外に行くための特別な許可は不要に。閉ざされていた世界への扉がついに開かれ、夢の海外旅行がいよいよ現実味を帯びてきました。人気の目的地は何と言ってもハワイ。とはいえまだまだ空の旅は非常に高価でしたので、一般化するのはもう少し後の時代でした。
1967年3月世界一周線開設
西回り、東回りともに週2便の運航で世界をつなぎました。世界で4番目となった世界一周線の開設は、日本の存在感、信用度のアップ、路線相互間の補完の実現、既成路線の強化など大きな効果をもたらしました。
Pickup エピソード
JALのシンボル 鶴丸マークの誕生
初代鶴丸は、ジェット機時代にふさわしいスピード感と日本をイメージさせる伝統的なデザインが基本コンセプト。機体の塗装だけでなく、制服のバッジ、各種販促物に使用され、世界各国で親しまれました。
極上の和のおもてなし
DC8は「空の貴婦人」と称され、ファーストクラスでは西陣織のカバーを使用したシート、壁面には文化勲章の受章者である前田青邨画伯による「紅梅」が掛けられ、窓には障子、床には畳風のじゅうたんが用いられるなど、極上の和のおもてなしでお客さまをお迎えしました。