制服の歴史-JAS客室乗務員
キャビンアテンダントの制服をはじめ、さまざまなユニフォームを
創立時からさかのぼってご紹介いたします。
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初代制服クリックで開く
マリーゴールド色のワンピースに白の鞄と靴のコントラストがよく、明るい印象。当時、流行したミニスカート丈で活動的。1971年5月の日本国内航空と東亜航空の合併後、新制服が決まる同年9月末まで旧日本国内航空の夏服を着用。
1971年5月- 東亜国内航空設立、資本金95億2,500万円
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2代目制服クリックで開く
あざやかなオレンジ色のワンピースとツーピースの2種類の制服に、冬は同色のオーバーコートも着用した。初代同様ミニスカートが話題を呼んだ。
ストッキングはベージュを着用、靴と鞄は黒。1972年8月- 初のジェット化路線となる東京=大分線をボーイング727型機で運航
1972年10月
- TDAスカイコール(初のオンライン予約システム)稼働
1973年10月
- DC-9型機カラーマーキングに「レッド&グリーン」を採用
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3代目制服クリックで開く
真っ青な空を象徴するセルリアン・ブルーを基調に、TDAのカラーであるレッド&グリーンをスカーフとエプロンにまとめ、3つのカラーの美しいハーモナイズを図った。エプロンは後にピンクと水色の2色に変更。
歴代制服の中で最も長く着用された。
デザイナーは渡辺 豊美さん。1979年12月- エアバスA300型機カラーマーキングに「レインボーカラー」を採用
1983年7月
- 日本エアコミューター株式会社設立
1988年4月
- 社名を東亜国内航空から「株式会社日本エアシステム」へ変更
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4代目制服クリックで開く
TDAからJASへの社名変更と国際線進出を記念して制服を刷新。親しみやすく優しいイメージを大切にし、信頼感と安心感が伝わるようパープル系濃紺のスーツとした。
帽子中央に大きな帽章。スカーフとエプロンは飛行機をあしらった絵画風のデザイン。スカーフの結び方は統一、先任はブルー、その他の乗務員はピンクのスカーフ。
デザイナーは吉田 ヒロミさん。1995年10月- 関西=広州線をエアバスA300-600R型機で開設
1995年11月
- MD-90型機カラーマーキングを決定。デザイナーは映画界の巨匠、黒澤 明監督
1996年3月
- 航空機で世界初の女性用トイレ「フローラル・ルーム」のサービス開始
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5代目制服クリックで開く
ボーイング777型機の導入を機に刷新。
ジャンパースカートとジャケットのアンサンブルで冬服は濃紺、夏服は空をイメージした明るい色。夏のブラウスは7分袖の丸首ボーダーTシャツで新しい印象。スカーフとエプロンは赤・青・緑の3色でペーズリー柄。
デザイナーは原 由美子さん。1997年4月- ボーイング777型機就航、日本発の国内線3クラス設定
1997年9月
- 株式会社北海道エアシステム設立