機材の歴史 1951年~
1951-1960
JALと共に歩み続けてきたJAL航空機の歴史をご紹介いたします。
歴史をきざんだ数々の名機がオンライン上によみがえります。
8月-
DC-3
1951年8月27日取得。1951年8月29日退役。クリックで開く10月の定期便就航を前に、3日間の招待飛行を実施。フィリピン航空からチャーターしたDC-3を「金星号」として使用した。
写真は第1日(8月27日)、東京周辺招待飛行への出発前の羽田空港でのもの。
10月-
マーチン202
1951年10月25日取得。1952年10月24日退役。クリックで開くノースウエスト航空から計5機をチャーター。1年後の自主運航開始とともに、姿を消した。
座席数36席、巡航速度450km/h。
11月-
DC-4
1951年11月2日取得(チャータ後購入)。1965年3月19日退役。クリックで開く自主運航開始前の約1年間、ノースウエスト航空からのチャーター機「てんおう星号」を使用した。
自主運航開始にあわせて同機も購入し、「十勝号」となった。
3月-
DC-6B
1953年3月24日取得。1969年4月26日退役。クリックで開く1954年2月2日の国際線定期便開設(東京ーサンフランシスコ)に備え導入した。1950年代の国際線主力機で、チャーター機1機を含め計10機を保有していた。
座席数36~58席(国際線仕様)、巡航速度450km/h。
12月-
DC-7C
1957年12月17日取得。1965年12月9日退役。クリックで開くジェット機導入までの中間機として、計5機を保有。ターボコンパウンド・エンジンを採用し、スピード・航続距離とも増大した新鋭機であった。座席数48~72席(国際線仕様)、巡航速度550km/h。
7月-
DC-8-32
1960年7月16日取得。1974年11月1日退役。クリックで開くジェット時代の幕を開けたDC-8は、長距離国際線を中心に一時代を築いた。「空の貴婦人」とうたわれた優雅なフォルム、卓越した性能に加え、客室に設けられた純日本風のラウンジや西陣織のシートなど「日本文化」を強くアピールしたサービスも評判を呼んだ。
写真は1番機「FUJI号」。その後27年間にわたり、-30・-50・-60の各シリーズで計60機を使用した(リース機含む)。
11月-
DC-8-33
1960年11月24日取得。1975年3月28日退役。クリックで開く